4月17日に開催された新潮講座、
「宮部みゆきの世界 読む楽しみ、書く愉しみ」で
色々なお話をうかがうことができました。
聞き手は読売新聞編集委員長の鵜飼哲夫さん。
お二人の会話形式でお話は進んでいきます。
宮部さんと鵜飼さんは読売新聞の読書委員会で
2週間に1度お会いするらしく、
よく会ってお話をされる間柄で信頼関係があるからなのか
お話は楽しく、あっという間に終了時刻を迎えてしまいました。
お話の中で宮部さんの人柄が見えた部分をご紹介したいと思います。
目次
宮部みゆきさんってどんな人?
宮部みゆきさんの経歴
まずは宮部みゆきさんの経歴から。
1987年にオール読物推理小説新人賞を受賞したのを皮切りに
日本推理サスペンス大賞、日本推理作家協会賞、吉川栄治文学新人賞、
山本周五郎賞、日本SF大賞と、多くの賞を受賞されています。
1999年に「理由」という作品で直木賞を受賞し、
その後も数多くの文学賞を受賞されています。
子どもの頃から文章を書くのが得意だったかというと
学生時代は書くのは苦にならない程度で、
「読書感想文などは一度も先生から褒められたことがない」
と、おっしゃっていました。
読書が好きで、図書館の本を借りてきては
返すまで舐めつくすように読む
というのを繰り返していたそうです。
お話の中で、「エンターテインメント小説講座に通っていた」
と、おっしゃっていた宮部さん。
書いた作品を友達や家族に見せるのは押しつけがましい感じがしたそうで、
かといって同人誌や文芸部とはご縁がなかったので、
読んでくれる人、自分の作品を楽しんでくれる人を求めて
講座に通われたそうです。
以前、私が文章を磨く学校の授業で、その時講師を務められた先生が
「昔、僕の講座に来ていた生徒に宮部みゆきさんがいた」
と、おっしゃっていたのですが、
宮部さんはいつも一番前の中央寄りの席に座って
大きな瞳で教壇を見つめていらしたそうです。
平成を代表する女流作家として
鵜飼さんが「平成は女性作家が多く誕生して活躍した時代」と、おっしゃっていました。
宮部さんも、ある新聞社が発表した「平成を代表する小説ランキング」で
4位になったことを喜んでいらっしゃいました。
無我夢中で作品を書き続けてきたそうですが、
同時に他の先生の作品もたくさん読んでいらっしゃる読書家でもあり、
文学賞の選考委員としても数多くの作品に触れていらっしゃいます。
文学賞の選考では、一読者として作品を楽しんでいらっしゃるそう。
途中で読むのを中断するのが惜しい、電車や新幹線にも持っていきたくなるような作品は
選考会でも推したいそうです。
しかし、「それでは感情論にしかならない」そうで、
他の先生との話し合いの中で負けてしまって
イチオシの作品に賞をあげられなかったことを悔やむこともあるようです。
選考会ではどこ(どの作品)に星が多く流れるかが受賞の分かれ目で、
運もまた受賞を左右するとおっしゃっていました。
授賞式では「星が巡りましたね」とおっしゃるそうです。
作品のこと
文体について
自分の作品を振り返って読むことがなかったという宮部さん。
「後ろは振り返らない」と、がむしゃらに新しい作品を生み出してきたそうです。
ところが、松本清張先生の作品を紹介する仕事で原稿を書いていた時は
「3か月間、自分の作品を書かずに松本清張ばかり読んでいたら、
その仕事が終わって久しぶりに自分の作品を書こうとしたら文体が松本清張になってしまった」
そうです。
その時、慌てて読み返すことのなかった自分の過去の作品を
書棚から引っ張り出してきて読み返し、
ご自分の文体を取り戻されたそうです。
文体が変わったことを
「長年書き続けていても文体が変わったことはうれしかった。
自分の文体の筋肉が柔らかいんだなぁと思って」
と、うれしそうにお話されていました。
ご自分の作品を振り返って、初期のころの作品は、
翻訳された海外の作品をよく読んでいた影響で翻訳文体だったとおっしゃっていた宮部さん。
「ファンライターなので、好きな作品や作家さんの文体がうつってしまう」そう。
作品のモチーフについて
山本周五郎賞を受賞した作品「火車」について、
「昔は女性のフリーランスというのは不安定で、
普通の暮らしができるのか不安だったので、がむしゃらに書き続けてきた」
と、おっしゃっていた宮部さん。
その時の不安感などがベースとなって書かれた作品が「火車」だそう。
宮部さんがあるパーティーで林真理子さんと会った時、
火車を読んだという林さんが「これは自分のことだと思った」
と、作品の感想を伝えられたそうです。
「売れっ子の林先生にそう言ってもらえて、すごくうれしかった」
と、感激したそうです。
この作品のラストは宮部さんが意識されている
「幕切れの美学」
に基づいて書かれたそう。
恋愛小説は書かない?
鵜飼さんから
「宮部さんはミステリーも歴史小説もSFもお書きになるけれど、
恋愛小説は書かないのですか」
と、質問された宮部さん。
宮部さんは「恋愛小説は書けない」
「恋愛こそミステリーですよね」と。
ミステリー作品では結末のあるミステリーを追うけれど、
恋愛は結末のわからないミステリーともおっしゃっていました。
平成という時代を振り返るという話題の中で
「あの時、あんなことを言わなければ今頃は結婚していたのかなぁ……とか思いますけど……」
と、おっしゃっていました。
もしかすると、恋愛は苦手……なのかもしれません。
プライベートのこと
ご家族について
宮部さんは80歳を過ぎたお母さまと一緒に暮らしているそうです。
新しい元号発表の日にお母さまが日帰りで手術を受けることになり、
付き添われたそう。
忘れられない元号発表の日になったとおっしゃっていました。
また、作品が書きあがって気分がハイになっているところへ
遊びに来た姪っ子さんに気前よくお小遣いを渡したエピソードも
披露されていました。
趣味について
以前はウォーキングをなさっていたそうですが、
膝を痛めてしまったそうで今はおやりになっていないよう。
今は俳句が趣味だそうです。
昔はお書きになる小説の文章は
「ミルフィーユみたいに重ねて重ねてだった」そうですが
今は
「そぎ落としていく方に力を入れている」そう。
もしかすると少ない言葉で表現する俳句の影響かもしれませんね。
趣味の俳句もお仕事につながってきているようです。
まとめ
宮部さんのお話をうかがっていると、
がむしゃらに書き続けてきた一方で
大変な読書家でもあることがよくわかりました。
先生のお話の中で、他の先生の作品の話題がよく出てきました。
新潮社本館の壁に、矢部太郎さんの「大家さんと僕」の巨大広告があったのですが、
こちらも講演の中で引き合いに出してお話されていました。
大家さんが人生の終盤を登山でいうところの「下山」にたとえていたのを引き合いに出して
「これからは美術館に出かけたり、映画館で映画を観たり、
これまではがむしゃらになってきて楽しめなかったことを
きちんと楽しんでいきたい」
と、おっしゃっていました。
小柄で華奢で、淡い色のお洋服がとても似合う可愛らしい女性という印象でしたが、
真面目で謙虚で、とても魅力的な女性でした。